写真でみる長泉町のあゆみ

 長泉町に住んでいたのは1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)3月までの5年くらい。その前は、住所は裾野市だが、ほとんど長泉町とも言える工場脇の寮に4年くらい住んでいたので、合わせて9年弱は、この長泉町圏で生活を過ごしていたことになる。しかし、他のページに書いているが、買い物や飲食のためには沼津あるいは三島に出かけていたので、長泉町の街の写真を見ても懐かしさを感じない。町役場や商店街には世話になった記憶がないのだ。
 何か思い出せることもあるのではと、この長泉町教育委員会が2010年に発行した「写真でみる長泉町のあゆみ」という冊子をヤフオクで落札した(2021年9月、1,000円)。しかし、この冊子に載っている写真の中では、ビュフェの美術館がある駿河平と東レの横のフェンスだけにしか記憶はなかった(もちろん自分が働いていた工場は記憶しているし、南一色の社宅から見た富士は良く覚えている)。あとは、沼津の花火大会の帰りに御殿場線に乗り、降りたのが下土狩駅であった、という記憶はある。しかし、駅舎の記憶はない(丹那トンネルができるまでは、現在の御殿場線が東海道本線の一部であり、三島の玄関は下土狩駅であったらしい)。

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