<本町>

 本町の子どもたちは、小学校3年か4年の時に一小(第一小学校)から花小(花の木小学校)に移ってきた。中学は二中(第二中学校)で同じである。当時は、親しい友が多くいた。特に石橋運動具店(石橋スポーツ)の息子とは、中学3年の時だと思うが、休み時間に毎日のように一番背が小さい内田君を入れてミニバスケットをやっていた覚えがある。高校1年の時に一緒に秩父公園内の市立図書館に行った時には、彼の身体が大きかったせいかどうか分からないが、公園の外れの歯医者の息子に絡まれたことがある。因みに絡んだ相手は私の高校の2年先輩であった。ちょっと本題から外れた余談ですが。

<アザミ薬局(アサミ薬局)>

 大通りの石橋スポーツの向かい、肉の”世界”の方に降りる坂の入り口右側にあった。私の父がメタボリンやビタカンファーなどという注射アンプルを定期的に購入していたため、何回か一緒に行ったことがある。番頭さんと知り合いで、その番頭さんは火鉢の前に座っていて仕事を差配していた。しかし、何で父は処方箋もなく注射薬を購入できたのだろうか不思議である。1950年〜1960年代は可能だったのだろうか?(父は自分で注射していた)余談だが、薬局の娘さんが薬剤師で、熊木に斎藤薬局を開店して間近、近くを母と(父と?)通りかかった時、挨拶に入った事があった。

目で見る秩父の100年より
目で見る秩父の100年より