秩父(市街)の人間にとって、12月の1日から6日まで執り行われる夜祭は特別な行事である。とりわけ2日、3日は屋台・笠鉾が市中曳き廻しとなるため、特別な日で、私の小・中学校時代は1日か2日、学校が休みとなった(私は高校が熊谷であったので休みではなかったが、地元の高校はどうだったのだろう)。屋台のお囃子(秩父囃子:太鼓)が、聞こえてくればそわそわと落ち着かなくなった。
中学の途中までは、御花畑駅に近い札所13番・慈眼寺の傍の二階家の二階を借りていたので、3日の夜の打ち上げ花火や仕掛け花火がよく見え、その時の前口上まで聞こえた(中学の途中から同じ敷地内の13番のすぐ前の平屋に引っ越してしまった)。高校時代も含め、4歳位から18歳までの夜祭の記憶が今でもある。
理由は分からぬが、父は緑と白の縞模様の腕章を持っていて、夜祭の時には東町通りと番場通りの交差点で交通整理をしていた。私の記憶では、車がまだ普及していない、昭和33年か34年くらいまでであったような気がする。
この絵はがきがいつのものかは明確ではないが、一枚の絵はがきの裏に押された秩父郵便局の風景印の期日を見ると、昭和46年(1971年)以前に購入されたもののようである。
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