横須賀在住期間

1982年3月〜現在
 転職に伴って静岡県から移住してきた。その後、娘は大学を卒業、就職し、そして結婚のために離れていった。自分は退職し、何をしても、あるいは何をしなくても良い立場になった。
 一時、転勤で海老名
(1989年11月〜1991年4月)に家族で移ったり、単身で座間の寮(1988年2月〜1989年10月)やソウルの民家(1996年10月〜1998年6月)、甲府近傍の昭和町のアパート(2002年3月〜2008年3月)に住んだが、今は横須賀が第2の故郷になった。

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勝海舟が咸臨丸に乗る前に断食した場所
勝海舟が咸臨丸に乗る前に断食した場所

 この町に来てもう30年以上が過ぎた。生まれてこの方一番長く住んでいる町になった。

子供はまだ1歳にもなっていなかった。その子と妻と一緒にタクシーに乗って、箱根の山を越えてきた。母に「お前はタクシーに乗るのが好きだね」と、言われていたのに、何故かその日は気分が悪くなり、箱根山中で止まってもらい、降りてちょっと吐いた。

 多分、六浦のあたりから16号線に入ったと思うが、田浦、船越と過ぎて行っても街らしくはならず、これが横須賀なのだろうかと思った。街らしい所を過ぎても社宅には容易に着かなかった。横須賀は海に沿った長い町であった。

 社宅は浦賀の駅裏の山の上にあり、裏には防衛大学校が建っていた。社宅には1年ちょっとしか住まず、近くの中古住宅を買って、そこに3年ちょっと住んだ。浦賀は黒船が来たことで有名な町ではあったが、感慨は何も湧かなかった。

 ペリーが上陸した向かいの久里浜の近くに新しく家を建てて住んで、もう25年以上が過ぎた。その間に単身で座間や甲府、ソウル、家族で海老名に住んだが、家はそのまま変わっていない。

 横須賀は歴史の町である。鎌倉幕府が出来るにあたっては、頼朝を支援した武将が住んでいたし、ペリーの上陸、近代造船・日本海軍の発祥の地となり、明治時 代には日本有数の都市となった。戦後は米海軍駐屯と戦争に関わる印象が強いが、良くも悪くも日本の歴史を背負ってきたし、そんな遺産も多い。

 40年働いて、今年の11月にはフリーとなる。ようやくこの町をもっと知ってみたいと思うようになった。(2012年 記)