仙台在住期間

1967年3月~1973年3月
 大学入学数日前より学生寮に入居、以降学部、大学院の6年間を中江3丁目で過ごす。

1999年10月 (暇人の雑記帳より記事を移動)

 恩師の喜寿のお祝いで6年ぶりに仙台を訪れた。 
 町並みは余り変わっていない。ホームページ用にと少し仙台に関する本を買う。書店は昔と少しも変わらない。アイエ書店、宝文堂、高山書店、金港堂、丸善とすべてあった。片平丁の北門近くには昔の古本屋がそのまま残っている。 
 購入した本には、人口の推移が載っている。私が仙台に住み始めた頃は、50万人そこそこだったのが、今では周辺の市町村を編入し100万人近い人口となっている。

 新幹線の開通とともに駅舎、駅前が綺麗になった。以前には、東京から1時間半程度で行ける様になるとは想像できなかった。

 時代は変わっても、繁華街の位置は変わらない。中央通りと一番町がにぎやか。特に中央通りは以前にも増して混雑を極めていた。

 ここに掲載したデパートやお菓子屋だけでなく、30年前に有名であった老舗(お茶屋、靴屋、蒲鉾屋)などは今も健在。

 6年前にも思ったことだが、青葉通りは小綺麗になったが、木がやけに多くなった(繁茂した)様な気がする。以前は、もっと明るかった気がするが(中央に緑地帯がありましたっけ?)

 東北大本部近くなると、やや寂しくなるが、昔の雰囲気が残っている。

 我々は、当時、片平丁地区を本部と読んでいたが余り関係なかった。 
 青葉山への通学バスに乗る時や理学部の大学院授業を受ける時、歯医者や友人のいる非水研へ行く時くらいであったか。 
 当時は学生運動が盛んで、本部事務所で学長と団交したり、近辺でデモ、集会など大騒ぎであった。

 本多光太郎博士が有名な磁石などを開発した、東北大学金属材料研究所、通称“金研”である。学生時代は、全く関係なかったが、大学の財産であった。